映画版地獄少女が結構百合っぽかったよという話
最近映画をよく見ています。文化人気取りです
先日の卒業発表があって以降、1週間で3本映画を見ています。しかも映画館で見ています。文化人気取りです
帰りは大体歩いて帰っています。1時間半ほどかかります。文化人気取りではなくただ単に情緒不安定なだけな気がしてきました
ということで地獄少女の映画を見ていたのですが、想像していたよりもずっと良かったです
アニメ版は1、2期までは大抵見ていて時々「これまぁまぁ百合っぽいなぁ」と思う話もあり結構良いじゃんと思いつつ、3期以降はどーなん??と思うことも増えいつの間にか遠のいてしまったのですよね
今更ながら説明すると、すっげぇ理不尽で救いがない話が大半で見ていてぬわぁぁぁぁぁとなりつつ、そこには何かしらの大きすぎる想いが渦巻いているということが殆どです
時には女性同士でそのような感情に飲み込まれるお話もあったりとボケっとみてて「あっ、百合じゃ~~~~ん」と思ってたら何か死んだみたいな作品だったように思います
語彙力の関係で上手く表現できていませんが、自分が死後地獄に堕ちてでも成し遂げたい何かがあるという願いの強さはかなりのものだと思います
さてそんな地獄少女ですが、映画版は二人の女の子の物語が中心となっております
引っ込み思案で自分の想いをなかなか口にできない美保が自由でエキセントリックですぐに手が出るタイプの遥と出逢う所から物語は大きく動き出します
大人しい美保、自由すぎる遥
同じクラスに居ても絶対友達じゃないでしょ……みたいな二人ですが出会いが運命的だったこともあってかすっかり意気投合し、休みには二人で遊んだり一緒にカフェデートをしたりとすっかり仲良しに
そんな二人がとあるボーカルオーディションを受ける所から二人の関係性にも少しずつ変化が………
という内容なのですが、まずは二人の見た目が作中に性格をすっげぇわかり易く表現しすぎなぐらいしてて美保ちゃんは絶対物静かだけど優しい感性の持ち主で「春に道端で咲いてるタンポポを『可愛らしい』とか表現するタイプ」でしょみたいな見た目です。可愛い
対する遥は「思春期に尾崎聞いてそう」「食べ物全部に山ほどタバスコかけてそう」「愛読書がビーバップハイスクールなのかな?」と思うぐらいエキセントリックで見た目も超絶さばさばしてます。すぐ殴るし。でも美保には凄く笑顔で接するの。優しい(美保にだけ優しい)
(ここから先は中盤以降のネタバレがあるのでご注意くださいませ)
そんな映画版地獄少女ですが、作中で大きく変化していくのは美保です
最初は凄く大人しかった美保が変わるきっかけ。最終的に彼女を突き動かしたもの
それらのほぼ全ては遥に対する感情です。ただそれだけを見せつけられる作品です
作中の遥に対する美保の感情を愛情や友情と言った言葉で表現するのはどれも適切でないような気がします
戸惑いや怒りもあったでしょうし、それ以外にも様々な想いや願いがあったように思います
ただ、それら全てを踏まえた上で彼女には「地獄に堕ちてでも成し遂げたい何かがあった」ということです
そんな彼女の純粋で捻じ曲がった想いがエゴなのか救済なのか我侭なのかは結局最後まで誰にもわかりません
最後の最後まで「これでよかったのか……?」と思う所も含め、想像していた以上に地獄少女だったなぁと思うと同時に「女の子が女の子に抱く強い感情があればそこには百合がある」と思う僕には結構な満足度があった作品でございました
作品のテーマ的に「よっしゃ、今すぐ結婚してくれ」「絶対この後ちゅーしてんじゃん」と思うようなパリピッピの作品ではないです
ていうかめちゃくちゃ暗いです。そういうの無理な人には結構厳しいかもです
ただ「何かよーわからんけどキスする前にはめちゃくちゃ『ごめんね、ごめんね』とか言いそう」「一生何かに怯えながら二人で暮らしていくんやろなぁ……」とか思うような人には多分めちゃくちゃ相性がいいです。ベストマッチオブリリィ作品2019です
僕は病んでいるタイプの人間なので正直くそ大好物すぎて「えっ、百合じゃない??」「百合でしょ」「ていうか百合じゃん……」という感想しか抱きませんでした
ということで地獄少女がなかなか良かったよという話だったのですが、多分全く伝わってないと思うのでぜひ見に行ってください
自信を持って万人に薦められる百合ではないかと思いますが、僕は凄く好みの作品でした
最後にめちゃ普通のこと書くけど玉城ティナさんの声がめちゃくちゃ綺麗でイヤホンで聞きたかったです
丁度3年とちょっと前ぐらいにアルバムが出たこの頃の夜、昨日のことのように今ハッキリと思いだす(語呂が悪い)
そういえばこんなブログありましたね
1枚目のアルバム、ファンタジアが出た頃って毎日がキラキラしてたなと思うと懐かしい。もう3年以上前なんですね
そのときは応援し始めて1年間が過ぎ、念願だった推しの生誕祭も経験をしツイッターの更新も盛んで
本当に毎日何かしらの幸せに包まれていた
今から思うと本当に些細なことでも凄く嬉しかったな
推しが呟いてくれるということ
当時は何とも思ってなくて「格好いいなぁ」「今日はこんな日だったんだな」とただ何となく過ぎていく日々だったけど、今から思うとクソ幸せめでたいエブリディじゃねーかって思います
人は幸せなことでも毎日になっちゃうとそれが日常になっちゃうんですね
3年後のいまはどうなのかというとただただ不安です
地元のイベントが本当にない、関東のリリイベ頻度は相変わらず
商売をするうえで関東重視なのは仕方ないとはいえ、ここまでの差が出ると不安もあるし面白くない感情もあるし
4年以上応援してきてここまで会う頻度が少ない期間は初めてですし、次は逢えると良いなからまたイベントがないんだなという気持ちに変化しつつあります
もっというなら今までは次に逢える日を楽しみに過ごしていた気持ちが、逢えなくても生きていける方法を探すことに変わっているのが寂しいです
これは友人とも話していたのですが、正直な話をすると生きていくのに必要がないことなんですよ
それは最初から分かっていたことなのですが、彼女たちを好きになって毎日が何かしらのキラキラに溢れていて
人生って楽しいものなんだなと思っていた日々がまるで何もなかったかのような日々に戻りつつあるのが怖くて仕方ないですね
根がネガティブな分、一度落ち込み始めると負の連鎖になりがちなこともわかりつつ、いまの活動内容や手法を見ていると素直に楽しめていないのが本音ですね
好きである必要はないんだけど、やはりまだもうちょっと好きでありたいなと思ってしまう自分とのバランスが保てていないという感じです
上手い着地点を見つけたいところ
という感じで文章にすると大げさな感じもしますが、乱暴に表現したら「もっと関西来たらいいのに。しょーもな……」程度のものなのでそこまで落ち込んでないんですけど
流石に活動頻度に差がありすぎて気持ちを保つことすら出来ないですねぇ
とはいえ最初に書いたように人間幸せなことが続くといつかそれが日常になってしまうものかと思います
いまはどうなの?と思う日々でも、いつか今日を振り返ったらあの頃って幸せだったなと思っても後の祭り
今日を無理して楽しむ必要もなければ悲しむ必要もないし、ただ素直に過ごしていきたいなと思います
あとゲームがクソ。最後に急に書くけどマジでクソ
格ゲーなんて勝っても負けても何も変わらんものを必死に練習して相手を負かせるものなので、それ以上でもそれ以下でもない
勝てば強いし負ければ悔しい
そこに必要以上に人間性を求めたり、ゲームにおいて人間性を求めているくせにそこ以外の部分ではおざなりだったりと厳しさと甘さの境界線が判らない
コミュニケーションツールのひとつだし、コミュニケーションツールのひとつでしかない
それを念頭に置いた上で楽しめばいいだけなのになと思う
「こいつはゲームクソやけど一緒に居て面白い」「ゲームは上手いけど一緒にいたくない」
どちらも普通にあり得ることなだけの話
感情表現の方法さえ間違っていなければどちらでもいいんじゃねーかと思うことが多すぎる
SNSでのやり取りが主流の昨今、どうしても意思の疎通が一方的になりがちな面が増えていることは大きいのかな?
そのぶん普通にあった時に普段の欠点はフォローでき、魅力は数百倍に増して見える人でありたいなと思う
「ネットでヤベェなと思ってたけど、実際逢ったらもっとヤバいんすね」
これは僕がよく言われる言葉なのですが、褒められているのかどうか未だにわからないまま今年も終わろうとしている
来年はもっと楽しめる一年にしたいなと思う
続アイドルの話
言葉の説得力のお話
推しが卒業の際に「また逢えるように頑張ろうと思ってるの」と言ってくれたことがあった
本当は「卒業して何かしたいことあるの?」「なんで卒業するの?」とか聞きたいことはたくさんあったのに何も聞けなかった
最後だって実感もなかったし、最後だと思うことすら出来なかった
なので「寂しくなるなぁ」とか無難なことしか言えず、聞きたいことを何も聞けなかった
そんな僕に向かって推しが言ってくれた言葉であった
その言葉を聞いた瞬間、本当に嬉しかった
推しが僕に言ってくれたということも勿論なんだけど、その言葉を聞くだけで救われた
その言葉が嘘でも本当でも何でもよかった
あと何度話せるか判らないにもかかわらずなにも聞けずにいたクソみたいな僕に向かって、その言葉を言ってくれたというだけで良かった
嘘か本当かなんてどうでも良かった
その言葉を支えに日々を頑張れるなら素晴らしいことだと思った
なぜこんなことを書いたのかというと数日前の未来くんの写真を見て思うことがあったからだ
2枚掲載されていた写真
1枚は甚平を着て格好いい表情をする未来くん。もう1枚は可愛い浴衣姿の未来さんの写真だった
正直な話をすると写真を見た際に1歩踏み込んだなと感じた
1月までは可愛い写真を載せることが出来ない雰囲気があった
格好いい姿を、夢を見せるような存在でありたいというコンセプトで活動していたからだ
春になって新体制後はメンバーの自主性に任せられているように思う
可愛い写真をあげても良いし、かっこういいを貫いても良い
どちらでもいい
その中で未来くんは今まで通り可愛い姿を想像される写真はあまり載せていなかった様に思う
これはオタク特有の気持ちを勝手に想像するという気持ち悪い現象だけど、ただ何となく「まぁ色々あるやろうしなぁ」と思っていた
だからこそ浴衣姿の未来さんを見た時には少し意外だったし、いつもより反響のあるその投稿を見て「まぁ珍しいもんな」という程度の感情の揺れしかなった
ただ、その写真に添えられていた言葉を見た時には春からの新体制になって以降、いちばん心が締め付けられるような気持ちになった
「勇気を出して呟いたので嬉しいです」
ただその一言だったんだけど、その一言には様々な想いがあったんだろうなと思う
僕の中で未来くんはよりしっかりとコンセプトを意識している人だなという印象がある
いつ見ても格好いいし、歌も上手い
魅せるのが上手い人だなと思うし、凄く魅力的な人だと思っている
色々な部分で魅力的で、凄い人だなぁと思う部分が多々ある
ぼくから見たらすべてを持っている人に近い存在である
そんな人でもたった1枚の写真をあげるだけで勇気がいたんだなぁと思った
只一枚の写真で大げさなと思う人も居ると思うが、ずっと格好良い姿を見せようと活動をしてきたグループである
その1枚の写真には今までの5年間の活動も込められている
だからこそ「勇気を出したので」という一言を重く感じた
ただ可愛いなという1枚だけでなく、そこには様々な気持ちを馳せることが出来た
ずっと格好いい姿を見せてくれていた未来くんだからこそ僕は説得力を感じた
写真を見て好きになったわけではなく、そこに添えられていた言葉を見て「やっぱりこの人は応援したいなぁ」と思った
新体制になって以降、素直な気持ちを話すとあまり心を動かされることがなかった
なのでこの言葉を見た時には嬉しいなと思ったし、それ以降も言葉を選びつつも一歩踏み込んだ発言をしてくれている未来くんを見ると素晴らしい人だなと改めて感じる
そんな感じで言葉の持つ説得力は偉大だなと思うと同時、それを発する人間の日々の姿にも左右されるんだなと思う日々です
ただSNSの文章じゃんと言ってしまえばそれまでですが、そういった環境の中で素敵な言葉を選んでくれる人を好きだと思うタイプだからこそ僕も注意していきたいなと感じる出来事でした
説得力がある人になりたいですね
キャラ差という感情が理解できないという話
同じ50円でキャラ性能差があるなら強いキャラ使った方がいいだけじゃない?って考えと、好きなキャラを使って頑張るって話で何故か後者の方が努力が認められがちなのがキャラ差じゃないか?
って話を書こうと思ったのですが、これを書いたら「お前の文章全盛期の氷室狂介ぐらい尖ってんな」って思われそうなので月華の話をします
このゲームはとにかくジャンプガードが壊しにくく、飛んだ相手(垂直Jガード仕込み)に対する行動が大雑把に書いて「飛んだ相手に何かをする」という行動となります
例えば空ガ不可能技を刺す、何か飛んでんなって思って見とく、走って潜って裏から殴る
この3つが大体の行動になるのですが「空ガ不可能技を刺す」ってのは単発で終わる+発生や打点の関係上、5Aなどの軽い攻撃で終わりがちです
「何か飛んでんなって思って見とく」ってのは何も起きません。見てるだけなので。僕の休日ぐらい何もないです
「走って潜って裏から殴る」ってのは振り向き処理がかかる1Fのみガード不能かつ地上からのフルコンが刺さるので成功時のリターンが高いです
そう、成功時のリターンが高いです
ここまで書けば伝わったと思いますが、成功するためには「相手のJ攻撃の判定をかいくぐって潜りつつ、飛んだ相手をダッシュで潜った場合は振り向くために一瞬上要素を入れてジャンプする前にしゃがみでキャンセルして相手の着地の1Fに攻撃が刺さっていればガード不能が確定する」という工程が必要です
もう少し具体的に書くと相手のJ攻撃が捲りに強い場合はもっと難しいし、仮に攻撃を刺しに行って失敗してガードされた場合は相手の短縮反撃が確定になる状況なことが大半です
一方、相手が飛んだのを見てから空ガ不能技を刺しに行くのは5A単発で終わりますが、あまりリスクなく刺すことが出来ます
ここにガード仕込みを仕込んでも良いし、更にいうとここにガーキャン仕込みも狙えます
ただし与えるダメージは5A単発分です
しかしながら積み重ねることで状況を動かすには十分のダメージでもあります
裏回りが成功さえすれば大ダメージを与えることが可能だけど失敗したら逆転が難しくなる戦法
1回1回はダメージが小さい攻撃だが、繰り返すことで相手を動かすことが出来る行動
どちらが正しいとは言いませんが、現状の月華は体力差や残り時間、それを守りきるための戦法が軽視されがちな傾向にあると思います
無論、守り気味に戦うことのみが正解とは言いませんが、一度この辺りを見直すことでまた何か違った発見があるのではないかなと思うと共に、決して人が多いとは言えないゲームで「僕はこう戦おう」と気づかせてくれるような戦い方をしてくれた先人が居たことには本当に感謝をしております
これは本当に嘘偽りない気持ちです
僕がある程度戦えるようになったのは現状の月華界で限りなくトップに近い面子が一切手を抜くことなく対戦し続けてくれたおかげです。感謝しております
それはそうとしていま急にバイキルトかけたので文章の破壊力が二倍になったのですが、つまるところ「月華というゲームは1コンボで奪えるダメージ量が多すぎるせいでリスクを抑えることや小さなダメージを積み重ねることでの状況変化をあまりにも軽視しすぎてる感があり、勝手に状況を悪くして無理するしかない体力差になって死ににいく月華ってキャラ差とかよりもまぁ他の部分があるよね」ってことなんですけど、ここまで書いて「優しい子に育ってくれて嬉しいわ」と言ってくれていた母の顔を思い出したので今回はこの辺で終わっておきます
優しい世界
例えば美味しいご飯を食べて「これ凄く美味しいね」と笑う
季節はもうすぐ夏だ
仕事終わりに呑むビールのおいしさを語り合う
なんでもいい。この世界には沢山の幸せが溢れている
なのになぜタイムラインには「~のキャラが強すぎる」「結局キャラ差」「このキャラがしょうもない」という話題が溢れているんだろう?
僕の望むTLは金髪ショートカットの方たちが自らの写真と共に「ほら、もっといいね押して」みたいな一文を添えている世界だ
「承認欲求の塊ですね」という意地が悪い悪意の塊の質問に対し「そうじゃなきゃ写真あげるわけないですよね」とバッサリと切り捨てている姿を見ると、やれキャラ差だキャラ愛だという狭い世界の話で争う惨めさと言ったら情けなくなる
僕達はゲームに関しては少しだけ上手いかもしれないが、ツイッターがあまりにも下手すぎる。ゲームは冥王でもSNSは5段だ
普段ゲームという世界でしかコミュニケーションをとれない人種である我々にとって、コス業界や容姿端麗な方のSNSの使い方には学ぶべき点が多々ある様に思う
どれだけ優れたキャラ対を話していたとしても5いいねだとして、彼女たちの写真は500いいねぐらい付く。100倍の価値である
それは彼女たちの容姿端麗さもさることながら、日常におけるSNSの扱い方や自分に対する自信の現れが数字となって現れているのではないだろうか?
普段自虐しがちな人が急に良いことを言っても説得力がないし、どのゲームでも似たような文句を呟いているのを見ると「ああ…またか……」と思われるようになる
非常に悲しいことだと思う
勝手に見ているだけなので何を書いても良いというのも一理あると思うが、それは普段会った時に「コイツSNSは追い詰められた時の烈海王みたいな所あるけど、実際話したらまぁまぁヤバいぐらいで済むな」とフォローが出来る間柄で成立する話だと思う
まぁまぁヤバい時点でもう救われていない気もするが
スマブラで言うと崖掴まりぐらいギリギリで助かっている
SNSというのは直接面識がない間柄でも大体の人となりが想像できる
非常に優れた文化だと思う
僕はSNSが好きである
しかしながら昨今は炎上話やゲームの自虐、マイナス要素話を目にするのが辛くなってきた
僕の好みではないだけと言ってしまえばそこまでだが、逆に問いかけるとクソくだらねぇ自虐話を一生見せられて「うんうん、わかるよ」ってなる人がいるのか?
前世菩薩で現世マザーテレサか?
「この人は好きだな」「良い人そうだな」と思われるのでもいいし「この人は辛口だけど言っていることは面白いな」など。何でも良いと思う
ただ少なからずプラス要素がある人間であってほしいなと思う
文章というのは良い意味でもそうじゃない意味でも直接的に感情が伝わりやすい
なにを書いても自由だからこそ人の内面が現れやすい文化だと思う
僕の文章で誰かに楽しんでもらえているなら嬉しいし、こいつ相変わらずぶっ飛んでるなと思われるのでも何でもいい
マイナス感情に繋がるような文章であるのは避けたいなと思います
余談ですが、格ゲーアカウントのみで繋がっていた人には「逢うまでは本当にヤバい人だと思ってました」「どんな人か不安だったんですけど良い人なんですね」と言われる可能性が98%ぐらいあるし、アイドルのライブで物販列に並んでいる際に「本当に文章がヤバすぎてどんな人か逢って見たい」と目の前に並んでいたお姉さんが話していて(そんなヤバいやつ居るんやぁ)と思いながら聞き耳を立てていたら、その直後にお姉さんの口から僕のアイドルの方のアカウント名が発せられたことがあります
結局自虐やキャラ対の話が好きではないぼくが鬼だったというお話しです
二度とこのような悲劇を繰り返さぬように僕の死後、この話が道徳の教科書に掲載されることを強く望みます
アイドルの話
あえるになって早数か月
以前であれば東京に行くか~とか、こっちに来てくれるだろうなというもうなことをぼんやりと思って待ち望めていたものの、新体制になってどのような活動をするのかがイマイチわからないまま夏を迎えている
関東では毎週末のようにリリイベがある
関西はリリイベで一度来てくれることが発表されている
要は今までとほぼ変わらない
遠征頻度などあまり変わらないのかなとは思っていたものの、やはりこのように現実と向き合うのは未だに少しツライ
数多く来てくれればと願うのは我侭であるのは判っているものの、それでももう少し来て欲しいなと思うのが正直な所である
ボーイッシュから男装に変わってどうなのかというのは正直なところまだ何とも言えない
直接姿を見たわけではないし
ただ魅せ方が上手なメンバーと苦手なメンバーの差が出ているかなと思う
この辺はツイッターや日々の発信しか見ていないのでステージでの姿を見れば変わるのかなと思うものの、魅せ方が上手なメンバーはおそらくステージでの振る舞いも上手であろう
これは何が好みかということでも変わると思うので何とも言えないが、やはり自信は魅力に繋がるんだろうなと感じることが多い
どのメンバーにもこの分野は得意だ、これは任せておけという場が見つかることを願っている
いざ男装になるというのを突き付けられた結果、想像していたよりもダメージは少なかったというのが正直なところではある
はっきりいうと解散の発表を見た時点で心は死んでいたし、1月のライブを見てもまだ解散したんだという事実を把握しきれていないという方が近いかもしれない
つばさくん、夏向くん以外のメンバーは少し変わったけどそのままだし
だからこそより心が動かない
少ししか変わっていないけど、その少し変わった部分をずっと見ていくんだなと思うと上手くまだ理解できていないんだと思う
女性の部分を見るのが嫌だ、男装になったので何かが変わってしまった、はたまたそれ以外の何かなのか
きっとどれも少しだけ正解で、全部が正解なわけではない
少しずつ掛け違えているボタンが上手くはまる日が来るのだろうか
とはいえこの辺はどの時代を見ていても差はあれど感じていた部分ではある
推しが居た時ももっとこうして欲しいという気持ちはあった
推しの卒業後にもう一度応援したいと思うようになって命を救われたとさえ感じていた頃ですら、ここがこうなれば…と思っていた点もあった
推しが卒業してステージ全体を見れるようになり、楽曲が一番好みだった時代ですら小さな不満点はいくつもあった
きっと応援する限り不満点というものは何かしら残っていくんだと思う
今はまだ直接姿を見れていないぶん不安や疑問があるし、正直諦めに近い部分ですらある
それを抱えて応援するにせよ少し距離が離れるにせよ、それは今までの結果の積み重ね
今まで貰ってきた時間が嘘になるわけではないということは忘れずにいたい
ただ、今のところ誰か特定のメンバーを応援したいという気持ちがあまり無い
そう思えるような宣伝をして欲しかったし、告知関係は以前にも増して稚拙な印象がある
人手の関係なのか、はたまたそれ以外なのか
見える範囲内では何が問題なのかが判らないが、結果として凄くがっかりしているというも事実
ここは改善して欲しかった
そのような気持ちを抱えている分、やはり前よりは少し気持ちが離れているように思う
色々と書いたが、簡単にまとめるとやっぱり寂しいんだと思う
フーパーズとしての曲がもう聞けない
推しが歌っていた曲が歌い継がれていくのを目にすることが出来ない
そう思うとやるせない気持ちがいっぱいになる
7月リリイベで実際に姿を見た際に、きっと何かを感じることがあると思う
良いにせよ悪いにせよ時間をかけてでも飲み込んでいきたいな