丁度3年とちょっと前ぐらいにアルバムが出たこの頃の夜、昨日のことのように今ハッキリと思いだす(語呂が悪い)
そういえばこんなブログありましたね
1枚目のアルバム、ファンタジアが出た頃って毎日がキラキラしてたなと思うと懐かしい。もう3年以上前なんですね
そのときは応援し始めて1年間が過ぎ、念願だった推しの生誕祭も経験をしツイッターの更新も盛んで
本当に毎日何かしらの幸せに包まれていた
今から思うと本当に些細なことでも凄く嬉しかったな
推しが呟いてくれるということ
当時は何とも思ってなくて「格好いいなぁ」「今日はこんな日だったんだな」とただ何となく過ぎていく日々だったけど、今から思うとクソ幸せめでたいエブリディじゃねーかって思います
人は幸せなことでも毎日になっちゃうとそれが日常になっちゃうんですね
3年後のいまはどうなのかというとただただ不安です
地元のイベントが本当にない、関東のリリイベ頻度は相変わらず
商売をするうえで関東重視なのは仕方ないとはいえ、ここまでの差が出ると不安もあるし面白くない感情もあるし
4年以上応援してきてここまで会う頻度が少ない期間は初めてですし、次は逢えると良いなからまたイベントがないんだなという気持ちに変化しつつあります
もっというなら今までは次に逢える日を楽しみに過ごしていた気持ちが、逢えなくても生きていける方法を探すことに変わっているのが寂しいです
これは友人とも話していたのですが、正直な話をすると生きていくのに必要がないことなんですよ
それは最初から分かっていたことなのですが、彼女たちを好きになって毎日が何かしらのキラキラに溢れていて
人生って楽しいものなんだなと思っていた日々がまるで何もなかったかのような日々に戻りつつあるのが怖くて仕方ないですね
根がネガティブな分、一度落ち込み始めると負の連鎖になりがちなこともわかりつつ、いまの活動内容や手法を見ていると素直に楽しめていないのが本音ですね
好きである必要はないんだけど、やはりまだもうちょっと好きでありたいなと思ってしまう自分とのバランスが保てていないという感じです
上手い着地点を見つけたいところ
という感じで文章にすると大げさな感じもしますが、乱暴に表現したら「もっと関西来たらいいのに。しょーもな……」程度のものなのでそこまで落ち込んでないんですけど
流石に活動頻度に差がありすぎて気持ちを保つことすら出来ないですねぇ
とはいえ最初に書いたように人間幸せなことが続くといつかそれが日常になってしまうものかと思います
いまはどうなの?と思う日々でも、いつか今日を振り返ったらあの頃って幸せだったなと思っても後の祭り
今日を無理して楽しむ必要もなければ悲しむ必要もないし、ただ素直に過ごしていきたいなと思います
あとゲームがクソ。最後に急に書くけどマジでクソ
格ゲーなんて勝っても負けても何も変わらんものを必死に練習して相手を負かせるものなので、それ以上でもそれ以下でもない
勝てば強いし負ければ悔しい
そこに必要以上に人間性を求めたり、ゲームにおいて人間性を求めているくせにそこ以外の部分ではおざなりだったりと厳しさと甘さの境界線が判らない
コミュニケーションツールのひとつだし、コミュニケーションツールのひとつでしかない
それを念頭に置いた上で楽しめばいいだけなのになと思う
「こいつはゲームクソやけど一緒に居て面白い」「ゲームは上手いけど一緒にいたくない」
どちらも普通にあり得ることなだけの話
感情表現の方法さえ間違っていなければどちらでもいいんじゃねーかと思うことが多すぎる
SNSでのやり取りが主流の昨今、どうしても意思の疎通が一方的になりがちな面が増えていることは大きいのかな?
そのぶん普通にあった時に普段の欠点はフォローでき、魅力は数百倍に増して見える人でありたいなと思う
「ネットでヤベェなと思ってたけど、実際逢ったらもっとヤバいんすね」
これは僕がよく言われる言葉なのですが、褒められているのかどうか未だにわからないまま今年も終わろうとしている
来年はもっと楽しめる一年にしたいなと思う